ふと。ふっと。

思う二次創作のこと。
電車男の御大がなんだかえらく普段見ないような取り乱し方というか自虐的な感じになっていたので思ったこと。
僕、常々二次創作っていうのは、ラブレターというかファンメールというか、そういうものなんじゃないかって思うんです。要するに、「好きですよ」ってコール。
「俺の方が○○(原作者)よりこのキャラを上手く使える!」と悦に入るひとびとは、つまり恋愛対象がないのに「俺のラブレター超名文」と言ってるのと同じだから野暮ったいのではないかと思うのです。同じ理由で、二次創作を作るためだけに「ああ原作やらなきゃなあ」という人びとも志が低いというか、浅薄というか、くだらないと思うのです。
二次創作の作法というものについて語るのはそれぞれの恋愛観を語るようなもので、結局のところ、まあそれぞれ好きにおやんなさい、という結論に落ちるとは思うのです。
で、それを踏まえて。
僕は、二次創作というものは「どれだけ好きか」というのが伝わればいいと思います。そこにたとえば技術だのなんだのを絡めているうちに、オリジナル創作との垣根が曖昧になって混乱するだけなのだと思います。二次創作はラブレターで、要はラブコールなんだから、韻を踏んでるだの美辞麗句がどうのというよりも、人の心を動かすものは別にあるんじゃないかなあ、と思うのです。それはたぶん、オリジナル創作にも言えることなんだけど、あたくし、そう思うのです。
二次創作はなんでか知らないけれど原作のキャラを全部出したいとか一個の物語として完結させたいとか原作の時間軸に忠実で矛盾が存在しない感じじゃなきゃダメとか、なんか縛りを入れたがる人が多いように思うのだけれど、それは実は、二次創作としては瑣末な部分で、むしろイカンことがあるとしたら、そういう瑣末なことに、無自覚のうちに振り回されてるのがイカンのじゃないかなあ、とか思うのです。
だってラブレターなんだもん。
僕はラブレターをたくさん書いたからといって何かの経験値が貯まるとは思えないし、すばらしいラブレターを書けるようになったからといってひっきりなしに色々な相手に書こうとも思わないんです。好きだなあと思って手紙を書いて、たとえばうまくないこともあるかもしれないけれど、だってそれはラブレターなんだもん。しょうがありません。
…などなど絡むように書いているうちに、やっぱり以前から一次創作二次創作という垣根について考えていたものがなんか形をなしたような気になりました。いまちょっと結論めいた物が出ました。
すなわち。
小説を書くっていうのはそれだけですでにラブレターなのよね。たぶん。たとえるなら、すでに結婚している人を好きになって書くのが二次創作で、未婚の人を好きになって書くのが一次創作のようなものなんです。たぶん。僕はたとえ話が下手なのでどうかわかんねえけども。たぶん。
で、既婚者に向けてラブレターを書くならそれなりの作法があるとかなんとかいう人が多いけれども、でも好きになっちゃったらそりゃしょうがないのよね。罪がないんです。書いちゃったらしょうがないんです。それじゃ動物だ、っていうかもしれないけれど、でも好きになっちゃったんだもんしょうがないんです。別に好きだからってどうこうしようってわけじゃないんだし、どうこうするのが道先にない恋愛が全て不幸というわけでもないし。それをさして、「所詮わたしは結ばれぬ身。未来のある恋をするお前にはわかるまい」なんつっていわれても困る話で。
えーと。
だからアレです。
人を好きになってないのにラブレターかいちゃダメです。というだけのことだと僕は思うよ(えらそう)といいたいのだけどコメントつけに走ってくのは躊躇うという話。
なんか傍から聞いているとひどく単純なことに見えるんですけど。でもこわいから知いらない。しいらないっと。