まめまつりレポ。

oberon2006-02-01


遅くなりましたがまめまつり雑感。
1月29日。
朝は朝とてキクバナさんと待ち合わせて浅草橋。珍しくはやくついた!と喜びながら小躍りしつ朝マックなどしていたら遅刻。ろくでなしでごめんなさい。
とにかく、そんでもって会場入り。あたりの設営を見渡して青ざめるわたくし。
想 像 以 上 に 美 術 的 だ !
ちゅかですね、どのブースも美しいんですよ。ミニチュアサイズの小さい本棚に陳列したりしてね。宝箱みたいの置いたり小さい畳敷いたり、もーすごいの。眩しくておいちゃんよう目が見えんかったです。例外なく、どのブースもシャン。デコレイテッド。まあ軽く衝撃をうけました。すっごい。愛だ。そこには放射される愛とかがある!
もともと美術コンプレックスのあるわたくしですが、刺激されてフニャフニャになっておりました。
「み、皆すごいですね」なんつって隣向いてわたくし鼻血。
キクバナさんてば、出品する本のサイズに合わせた、小 さ い 木 の 本 棚 持 っ て き て は る !
思わず京ことば。しかもいんちき。そうだ。この人はやるっつったらやる人だった。プロシュート兄貴ィ!聞けば旦那さんに作ってもらったそうです。いいな!ドラえもんみたいだ!いいな!
写真がないのが残念ですが、そりゃあ素敵な足付き本棚でした。いいなあ。裏山椎。

というわけで開き直ってわたくしも設営。
表題の再現写真になるわけですね。まー、ともあれアレ。つらかったけど手間かけてやってよかった。かろうじて豆本。工作品。ジャバラまんが。メイドさんメイドさん?ともあれ。
触れることがwebとmaterialの大きな違いです。realはいつでも身嗜みがだいじ。
手触りは大事です。やはり僕はmaterial。目に見えて触れるものを愛します。愛したい。

たぶん書くことは、かたちのないものに名前をつけること。大事なものならば名前をつけてやるんです。名前をつけて、今度は美術がそれにからだを与えるんです。

豆本というのは、確かに自主流通本の一形態に過ぎないけれども、やはり美術と文芸の幸福な結婚の、ひとつの結論ではあるまいか。中身とかたちを適切なバランスで愛することではあるまいか。と思います。
それを考えると、このまめまつりにたくさんの参加者が訪れたことに、なんだか限りないよろこびを感じるのです。
きちんと自分を愛し、その余裕のぶんでもって世界を見渡せる人の多いこと!

ちゅのもお客さんの数などが体感的には文学フリマより1.5倍くらい多くて、すげえなあ、などと思っていたんだけども公式発表みるとそうでもないのね。およそ500人くらい?
で、たぶんそれは、「目当てのものだけ買ってあとは目もくれない」ちゅオタの悪い面を具現化した人が少なかったせいかも知れません。効率的なのはわかるけど、娯楽に効率を求めるのは余裕ある愉しみとは違う気がするんです。
話逸れた。
もちろん文学フリマをけなすつもりはないんです。つまり、おおざっぱに言って「なかみ」を追求する人が多いのが文学フリマ、「かたち」を追求する人が多いのがまめまつり、という感じでした。と。

たいへん楽しい集まりだったので、ぜひまた行きたいです。ちゅか豆本つくる。やるよっ!
続きはまたのちほど。